『風よあらしよ』村山由佳 集英社 を読んで


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『風よあらしよ』は、伊藤野枝の生き様を小説にしたドラマ化もされている作品です。

 

私は彼女について、女性の社会運動家として度々見聞きすることがありましたが詳しくは知りませんでした。

 

この小説では、本人の立場から見た尺度で語られていること、また、野枝と関わった人たちから見た野枝に対する感情や行動、そして当時の情景描写が様々なところで詳しく書かれていることから、躍動感を持って彼女に向き合うことができる作品だと思いました。

 

野枝のことを全く知らない方でも、社会運動についてくどくど書いている小説ではなく、恋愛にまつわるストーリーが大半を占めますので身構えずに読める内容です。なので、沢山の人に読んでもらいたいなぁと思っています。

 

作品の第二の主人公と言っても過言ではない大杉栄の生き方がとても独特です。自由恋愛を掲げた大杉栄の挑戦は本人の認識はどうであれ周りからの評価は失敗でしたが、「習俗打破」の信念を貫いた先にあるものとして考えてみると一理あるのかもしれません。男も女も自立していた方が、人間関係を良好に築けますからね。そもそも、自由恋愛は当時の価値観からするととんでもないこと。しかも、女には夫となる人やそもそも結婚をするかしないかの選択権が存在しなかった時代でもあることを考えると、大杉も野枝も、本当に思い切ったことをする人でした。

 

大恋愛をしたことがない私には、「その人でなきゃいけない」というのがちょっとよくわからないです。損な人生かもしれません。

 

抑圧された社会を変えていきたいと願い行動をせずにはいられない彼らにとって、二人の関係は恋人であり同士であり、お互いにとってかけがえのない存在だったのでしょう。そんな強い絆を積み上げていけたことが羨ましく、生命の灯火をめいいっぱい燃やして生きていこうとする姿に私もうかうかしてられないなと自分に鞭を打ちたくなります。

 

そんな生きるのパワーにみなぎった野枝でさえ、得られた幸せに安住する道もあることを悟る場面があります。私はその野枝を語り口にした言葉が心に刺さっているので紹介します。

 

「心配ごとは絶えずとも、そうして甲斐甲斐しく男の世話を焼いていると、身体の奥底は満ち足りて落ち着く。そういう自分にある日はたと気づいた時、野枝はなんとも言えない焦燥を覚えた。」(P.539 L.1〜2)

 

今の私の状況がまさにこれです。低賃金パートタイマーで働きながらも、家事に勤しんで子どもと旦那と過ごす毎日はなんだかんだ幸せで、この幸せを継続させたいという野心や冒険心を捨てた生き方に安住しています。

 

現実はあまりに理不尽なので、この低賃金な状況をどうにかしなきゃとは思うけれど、では実際どうしたら良いのかといったらわかりません。血を吐くような努力しか道はないのでしょうか…。

 

もう少し手の伸ばせる範囲で何かできたらと思う一方、努力できない自分に悔しさと恥ずかしさを覚えます。

 

野枝も葛藤していたんだろうなと思うと、余計に今の私が甘ったれの人間で、もう少し努力した方が良いのだろうなと気が引き締まります。

 

大杉栄伊藤野枝憲兵隊によって暗殺されてしまい、彼らの活動は志半ばで終わってしまいました。日本の社会的損失で悔やみきれないので、少しでも彼らの活動から何かを得たく、沢山二人に関する本を読んでいきたいと思います。