『野菊の墓』を読んで 作者:伊藤左千夫

野菊の墓』の作者は1864年産まれの伊藤左千夫(いとうさちお)だ。歌人で有名な方のようだけれど、私は今まで彼のことを知らなかった。メルカリに出品されていた本のまとめ売りの中の一冊が出会いのきっかけ。

面白いのかどうなのか分からぬまま読み進めてみたが、明治の作品であるのにもかかわらず現代でも通ずる情緒で描かれていた。

 

野菊の墓』は、明治期の15歳の政夫と17歳の民子が織り成す年の差の恋模様を悲劇的に描いたもの。たった2つ女が年上であることが15歳の青年の母親としては世間体ばかりが気になり、17歳の女側の家族としては裕福な家に嫁いでもらいたいという願望によって引き裂かれてしまうのだ。

 

政夫が学校へ通い始めた後、民子に会おうと思えば会えたものを無下にして過ごしていた。そうこうしているうちに、17歳の民子は裕福な家に嫁いでしまった。思春期特有の恥ずかしさと、家族や親戚が強いる世間体との間でうごめく若き心は脆く甘酸っぱく、世間体等の重圧を跳ね除けるほどには強くなかった。

政夫はのんきなもので、民子が嫁いでもなお自分のことを大切に想ってくれているはずだという自信から、民子の様子を尋ねることもしなかった。民子は流産ののち、政夫を想いながら死んでしまった。

 

齢をいくら重ねても、あの頃を思い返すたびチクリと心を痛める政夫の回想が物悲しく儚かった。明治期の自由恋愛がメジャーではなかった時代にこの作品が産まれた背景を考えると、実際に不幸な結婚を強いられた人のことが可哀想でならない。

 

ストーリーとはちょっと逸脱するけれど、自由に恋愛ができ結婚できる今の時代に至るまで長い年月が必要だったことを考えると、おかしな風潮や文化について批判の声を上げても改善が実現するのは子や孫の世代なのかなぁと悲しくもなった。同性婚に対し色んな意見があるけれど、みんなが幸せになる方向に向かえば良いのに、ね…。好きな人といることがそんなにダメなことなのか。世間体を気にして引き裂かれるような苦しみを、誰にも味わってもらいたくないなと思う。