『女神』著者:三島由紀夫 出版:新潮文庫

三島由紀夫の作品は耽美、妖艶、貴族趣味。

今回読んだ『女神』も結末以外は期待を裏切らなかったです。

 

・依子について

かつては美貌に溢れ夫の愛を一身に受けていたが、戦争によって火傷を負ったことをきっかけに人目に出ず引きこもった生活をしている依子。彼女は、父親の愛情の全てを受けている娘・朝子への嫉妬から娘の恋い焦がれている画家の斑鳩を利用し仲を引裂く。

嫉妬と無念に支配された醜さの権化のような人をきれいな言葉で伝えられるのがすごいと思った。

 

・朝子について

朝子は偶然助けて知ることとなった画家斑鳩のことを恋い慕いながら、見た目も財産も申し分ない俊二からの求婚に承諾する。恋する乙女の心の揺れ動きが甘酸っぱく感情移入でき、美しく羨望の目を持って見られることに慣れた女性の仕草が具体的に書かれているわけではないのに想像ができて愉しく読めた。

 

・周伍について

周伍が妻依子の火傷の後、理想美への執着が妻から娘へと移り、過剰な要求を抑えられない部分はさすがに気持ち悪く、三島由紀夫作品だからといって昇華させるには無理がある結末だった。

 

結末はさておき、

汚らわしい部分も艶やかでした。

 

全然関係ないけれど、戦後の舞踏会がまだ開かれていた頃のファッションが気になる。

もしかして超エリートクラスなら、今も舞踏会してるのかもしれないけどね。

『創られた明治、創られる明治』編:日本史研究会 歴史科学協議会 歴史学研究会 歴史教育者協議会 出版:岩波書店

【概要と感想】

明治になってから150年をむかえる2018年、記念式典開催が開催された。当時首相であった安倍晋三の式辞で「五箇条の御誓文が、古い陋習(ろうしゅう)を破れと説き、身分や階級を問わず志を追うべしと勧めたとおり、新しい国づくりに際しては、それまでの身分、武士・農民・町民の別に関わりなく、若者や女性を含め、志を持った人々が、全国各地で躍動しました」と述べている。

 

果たして明治とは、女性を含め身分に関わりなく躍動できたのだろうか。

 

また、「明治という時代が新たに生み出した多くの人材が、急速な近代化の原動力となり、我が国は近代国民国家への第一歩を踏み出しました。憲法の制定、議会の設置、内閣制度の導入など、立憲政治・議会政治の基礎が築かれました。工業化の進展、鉄道の開通、郵便や金融制度の整備、産業も大きく発展しました。義務教育が導入され、女子師範学校が開設されるなど、教育が充実したのもこの時代です。現在の政治、経済、社会の土台が築かれました。」と現在の日本の発展に明治という時代が大きなターニングポイントのように述べられているが、議会政治の不備や工業化がもたらした災害、女性の就学率の低さという視点等は語られず、発展して良かったという側面でしか明治を捉えていないように取れる。

 

式辞を読んだだけで歴史修正主義の意向がはっきりと見え、一片通りな主張が列記とした記録として残っていく、強者によって歴史が作られていくことに楔を打つべく書かれた本である。

 

私は「歴史を学んで何になるのか」と学生時代から思っていたが、歴史に無関心な人が多ければ多いほど歴史修正主義者の思うがままに歴史が作り上げられてしまうこの現状を前に、歴史を学ぶことで差別に気付き、社会認識の仕方に疑問を持てるようになるのだという回答を自分なりに得た本だった。

 

学ぶ学ばないは人それぞれだが、歴史は今の政治にも繋がるということがこの本を読んで分かったので、私はこれからも歴史を学ぶことを続けようと思う。

 

【今後掘り下げたいことのメモ】

〜第1部より〜

文化の日とは戦争放棄を宣言した日本国憲法が公布された日を記念し「自由と平和を愛し、文化をすすめる日」となっているはずなのだが、自民党やその関連団体は明治天皇の誕生日である11月3日に由来を付け、明治天皇と一体となって近代化を推し進めた日としたいようだ。

 

明治時代は軍事力で他国を支配する帝国主義時代であったが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』が朝鮮支配は弱肉強食の世情で仕方のないことだったと認識した見方で書かれているように、明治礼賛が受け入れられる土壌であり、これを更に後押ししたことを否定できない作品である。

 

明治時代に「征韓論」がまかり通った所以をたどることなく発展した面だけを切り取って解釈するのは、あからさまに支配した歴史を無かったことにしようとしていて気味が悪い。

 

また、朝鮮史に触れる機会が無いことで、支配されてかわいそうだという支配した側の一方的な見方でしか理解が及んでいない点を指摘している。確かに、反日運動はあったが、どんな人たちがどんな行動に出たのかぱっと思い浮かぶ名前が浮かばない。朝鮮史を知らなければ、これからの外交にも問題が出てきそうだ。

 

〜第2部を読んで〜

安倍晋三氏によれば明治時代は女性の社会進出が進んだ時代という認識のようだが、近代国家は女性の政治的権利を奪って成立した事実を無視した見方であることが以下の点から分かった。

 

①1876年の浜松では、戸主であれば性別問わず選挙権があった。

1878年高知でも、楠瀬喜多の活躍により1880年に女性参政権が実現した。

 

しかし、1884年の改正で20歳以上の男性のみに選挙権は改悪されてしまった。

 

また、明治民法の呪縛から解き放たれていないという言葉が心に残っている。家父長制を制度化し、結婚後は夫の姓に変える仕組みは未だ9割を超えている。

 

また、銃後史にも触れている。

託児所や学童保育は戦時下につくられ子育て支援は進んだように、フェミニズムの考えが国策に回収され、戦争を後押ししていたことが分かった。本文に出てくる鈴木裕子さんの「国策とフェミニズムの共犯関係」という言葉を頼りに、どうしてそうなったのか深掘りしたいと思った。

 

〜第3部を読んで〜

明治150年をどう捉えているのか、都道府県別に旧藩時の派閥にカテゴリー分けし、かつ明治150年政策に関して発信している内容と照らし合わせ、各自治体の認識を明らかにしていて面白いと思った。

 

戊辰戦争は内戦でありその立場の違いから明治の見方が変わるのは当然で、明治150年を一方的な見解で押し付けるようなことがあってはならないと思う一方、関連する歴史が出てこないという国が主導した歴史に絡め取られるのを傍観しているか待っているかしかしていないような自治体もあり、歴史が気にもされないものとして存在していることが現実なのだと痛感した。

 

私の住んでいる埼玉県は表の中に出てくるくらいで予想通りなのだけれど寂しい気持ちになった。歴史は後に伝えなければ表明したもの勝ちになるのだと分かり、郷土史を残すことは大事なこたなのだなと気付いた。

 

あまり戊辰戦争について関心がなかったのだが、ちゃんと勉強しようと思った。

 

おしまい。

 


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#読書

#明治時代

#歴史

 

 

『横丁の戦後史』著者:フリート横田 発行:中央公論新社(2020)

この本に出会ったきっかけはTwitterです。

フリート横田さんのノルタルジックな飲み屋の投稿がRTで回ってきて、彼の投稿を読んでみたら面白く、本を出していることを知って手に取ってみました。

心に残っていることを断片的ですがまとめました。

 

ー消えゆく歴史ー

彼の横丁という限られた空間の歴史を紐解いていく手法は、主にオーラルヒストリーの聞き取りです。執筆中に亡くなられる方もいたりと、戦後史の社会がどんな雰囲気だったのか、伝承されることなく消えてなくなってしまう可能性が高い今、今後貴重な参考書になるのではないでしょうか。

 

伝承されることなく消えていった歴史の1つに、身体を売って生計を立てていた女性たちの存在があります。神田小路と俗称される飲み屋街に無理矢理2階建てにした建物があるのですが、この2階が「青線」的な使い方をされていたと常連客は言うのです。

 

違法な営業や法の目をかいくぐったようなお店が記録など残すはずもなく、働いていた女性たちもそこでどんな働き方をしていたか公表などするはずがないでしょう。今女性たちが生きていたら90歳くらいでしょうか。その後幸せになれたのか、今も苦しんでいるのか、戦争がもたらす被害に心が痛みます。

 

ーコミュニケーションの場としての横丁ー

「現代人にとって横丁とは何か」という疑問に、著者は「他者との距離の取り方、つながり方、楽しみ方を教えるのが横丁」だとまとめています。極度にコミュニケーション能力の低い私にはハードルが高い場所に思えるのですが、近所にある横丁感満載のスナックはこんな私でも受け入れてくれるのでしょうか…。ちょっと行ってみたい気もします。

 

ー戦後の横丁とはー

戦後のものが現代人にとってノスタルジーを感じるものではないかとフリート横田さんは仰っています。私の年齢くらいだとそうかもしれないでしょう。ただ、私の子供世代、早くて10年下った2000年以降の産まれだと、新耐震基準の建物に慣れた世代になってきそうなので、大正時代とごちゃまぜのレトロとして捉えられる可能性もありそうだなと私は思っています。

 

また、横丁の戦後を知る上で、私の知らなかったことがこの本には沢山出てきました。その1つは「在日コリアン」について。日本は1945年を境に平和路線へと舵を切り今のところ成功している状況ですが、近隣諸国では戦争が激化した時でもあり、横丁にお店を構えた人たちのルーツに済州島の地名が出てくるのも、激化した虐殺から逃れてくる人たちのコミュニティとして機能していたからだそうです。

 

朝鮮戦争が続くなかで、もともとは「朝鮮料理」で出していたものが名前が持つ差別的意味合いを避け「焼肉」へと変わっていったことがとても驚きで、コリアンタウンに朝鮮戦争の背景があることを知りませんでした。

四・三事件という事件についてこれから勉強しようと思い、図書館の本を予約しました。

 

また「テキヤ」という言葉も、初めて知りました。お祭りなどの露店はヤクザだなんて話は聞いたことがありましたが、正確ではありませんでした。ヤクザは賭博での領域の人たちを表し、ここでは「テキヤ」が当てはまるようです。

とはいえ、今の露店商を営む方の話では、「テキヤ」という呼ばれ方は好まないそうです。暴力による牽制で商売を成り立たせていた過去は否定できませんが、今は催事を商いとして真っ当な商売をしているので、この言葉は使わない方が良さそうです。

 

ー怪しげな場所という見方ー

戦後のヤミ市から発展した横丁であるがゆえに怪しげな場所という見方をされるのが常ですが、今は暴力で効かせるようなことはないそうです。「今は」というのは、戦後直後の混乱期をとりまとめる上で、横丁の前進のヤミ市は暴力を行使して商いをしていた過去があります。その点について、ご存命の方のお話しや、その子孫の方々に取材された内容がこの本に書かれていますので興味があれば読んで欲しいです。

 

歴史があるからこその問題かもしれませんが、横丁を「怪しげな場所を覗いてみたい」という心理で見てしまうことに著者は警鐘を鳴らしています。

そこで営業しているのは、佇まいは昔のままながら店子は代替わりしているのがほとんどで、そこで商いをする人たちを一方的な見方で横丁の写真をSNSなどに投稿するのは偏見の助長を作り出してしまいます。

 

私も飲食店で食べたものを写真に撮って投稿することがありますが、偏見がないか、気をつけて投稿しようと気持ちが引き締まりました。やっぱりSNSの情報は誰かの主観でしかないので、気になるなら行ってみて肌で感じて、横丁ならば店主や常連さんに話しかけてみなければと思います。

 


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『明治を生きた男装の女医 高橋瑞物語』著者:田中ひかる 発行:中央公論新社(2020)

医学部入試で女性の受験者を不当に不合格としていた事件は記憶に新しい。また、未だに「女医」という言葉には「未熟さ」「若さ」「見た目がきれいである」「性格がキツい」といったイメージをもって使われることもあるように、世間一般的の認識に女性で医者であることは特異なことで蔑視の対象とする認識が残っている。

 

この本の主人公である高橋瑞は女性ながらも医者を目指すことを諦めず、さらには医者になった後も先進医療を学ぶため単身ドイツに渡った女性だ。女性が文字を学ぶことすら難しい明治の社会の中で、学ぶことを諦めなかった彼女のパワーは本当にすごい。彼女と比べたら私はネットで調べたり本を図書館で借りることができるし、そもそも漢字を含めた読み書きができる。怠けている自分が恥ずかしくなった。頑張ろう。

 

高橋瑞が単身ドイツに渡った際、のちの首相西園寺公望含む在ドイツ公使館の職員たちは、本国からの初の女子留学生がやってくるという情報から高橋瑞の見た目を勝手に高貴な貴婦人と想像し、その様子が中婆さんだと分かると勝手に落胆したという。ルッキズムと女性蔑視と階級差別が思考の根底にある発想である。ドイツに行けるだけの教養を持ってしても、女性を差別して良い、身分の低いものを蔑視の対象として良いという「人権」という概念が男だけのものだったことが分かる。

 

また、根底には女性は結婚するもの、女性に勉学は必要ないという一般的認識の一方、富国強兵により正しい知識を得た女性の医者や産婆を育てていくことは必要不可欠であり、また、高橋瑞の他にも女性にも医学試験を受けさせよと請願した女性たちの努力の甲斐あって重い扉が女性にも開かれていく。現代でも問題となっている女性を良いように使うダブルスタンダード構造が誕生したとも言えよう。

 

事実、医学を学ぶ塾は男しかおらず、女であるというだけで着物に落書きをされるような始末だ。瑞はそんないじめに構わず講義を受け、試験に受かるのだった。医者となった後も女が医者であるはずがないという巡査の暴言を受けるほどに、女医は批判の対象であった。

 

瑞の試験突破後、徐々に女医が増えるにつれ「女医亡国論争」が医療雑誌を賑わせるようになる。この女医への批判に対し荻野吟子は「前近代において医者は、病人や怪我人を相手とする『不潔で卑しい』職業と見なされており、明治時代になってもそうした印象をぬぐいきれずにいた。吟子はナショナリズムの高まりを背景に、医業のような『賤業』は女に任せて、男は戦場へ行け」と反論した。女を蔑み続けていたいという女医亡国論者の意図をしっかり汲んでいて痛快である。

 

女医への批判に対し高橋瑞は反論を公にはしていないようだが、高橋医院で受付を務めながら医学塾である済生学舎に通う柏木トシとの会話の中で話された言葉が心に残っている。

 

彼女は「産まなければいいさ。女が子どもを産まなくなって困るのは、詰まるところお国なんだ。これからは女医に限らず、働く女が増えるだろう。するといったんは女に仕事をさせるなっていう方向に圧力がかかるに違いない。それでも女たちは働くことを諦めないだろうから、子どもは減る一方だ。となればお国は慌てて、仕事をしながらでいいからどうか子どもを産んでくださいって方向に動かざるをえない。」(p.200 l.14)と話している。

 

今の少子化について、明治時代からすでに先見の明を持っているような会話で聡明さに驚くと共に、女の話には耳を傾けなかったツケが今に至るのだと虚しくなった。

 

先見の明を持っていた人物が他にも登場している。高橋瑞の教え子に鈴木悠悠という人がいるが、地上から上空を飛ぶ戦闘機を撃ち落とす防空演習に対し批判をしている。地上から戦闘機を撃ち落とすのは不可能で民家を狙った攻撃を受けるようになり、その攻撃は何度も繰り返されることになるだろうと予見していた。もちろん、当時の日本政府は発禁処分等を行ったように批判に全く耳を傾けることはなかった。ヒトラーの対露戦線でも同じである。イエスマンだけで国政を動かすとリクスヘッジ能力が著しく低下するようだ。

 

女性の医師は2023年現在も男性と半々には及ばず8:2と少ない。医学部試験で女性の足切りをするような医師界隈の認識が明治時代から変わっていないことに驚きである。女医差別の構造は思ったよりも根深く、令和になっても明治の影で覆われていることが分かった。

 

差別にめげず諦めず、学び続けた高橋瑞にパワーをもらえる小説だった。

 

『エッセンシャル極アウトプット「伝える力」で人生が決まる』著者:樺澤紫苑 発行:株式会社小学館(2021)

著者の樺澤先生はYou Tubeで知りました。かれこれ5年ほど前になるでしょうか。私が産後鬱で辛かった時に大変ためになる情報を発信されていて、メンタルクリニックへの受診の助けになり、今でも日々のメンタルコントロールをサポートしてくれる存在です。

 

数年前から動画の中でもご自身の著書を紹介されていて他にも本を出されているのも知っていました。ただ、鬱思考のまま自己啓発系の本を読むと認知の歪みにより自分を責める思考を強めて辛くなるだけという個人的な経験があり、手にしたことはなかったです。

「無理はしない」ということを樺澤先生の動画でも発信されてますので、調子の良くなってきた今になってやっと本を手に取っています。

 

初期の頃の本から読まずになぜ最近出た「極アウトプット」を読んだのかと言いますと、昨年と一昨年と社会保険労務士の試験に挑戦し惨敗したからです。暗記も不十分な上に読むスピードが遅く問題を解き終わらずじまいなので、勉強法の参考になればとこちらの本から読んでみました。

 

感想をはずばり、読んでよかったです!

 

人によって為になる部分は違うと思いますが、私が今後役立てていこうと思ったことを5つ列挙します。

 

①アウトプットには「手で」書くことが大切

運動記憶を使うことで記憶の定着が高まるそうです。読書記録としてブログを書くようになりましたが、そのまま携帯でテキストを打ち込んでました。さっそくこの本から、メモを手書きでノートに残すようにしています。

 

思い返すと、本を読んでいる途中でメモするのが億劫で、とりあえず付箋は貼ってました。でも、後になって調べたり、役立てたりするかというと、そもそも何で付箋貼ってたのかを忘れがちでした…。

せっかくのインプットが無駄になるので、ノートを一冊用意し、ブログを書く前段階のメモを取るようにします。

 

でも、無理はしたくないので、娯楽的に読む小説なんかは携帯にメモするくらいはしましょうかね。それをブログに清書して、誤字脱字確認がてら声に出して読むくらいはしましょうか。

 

②まとめノートを作るのは試験対策に最適かもしれない

 

効果的な勉強方法として紹介されていた「書いて覚える」「問題を解く」「声に出して読む」「人に教える」は実行済みでした。私立中学に入ってからこの勉強方法を実施しています。周りの級友が効果的な勉強方法を教えてくれたことに感謝です。

 

大人になってからやっていなかったことは「まとめノートを作る」です。大学生の頃からパソコンでの作業が主流になり、ペンを持たない・ノートを作らない環境に身を置いていたため、気付けばまとめノート作りを10年以上怠っていることに気づきました。

 

目下、社労士の試験へ向けたまとめノートを作ることになるのですが、判例とか法改正とかまで網羅するのは膨大すぎますね…。

なので、私の好きな歴史変遷をまとめるとこからやってみようと思います。「社会保険制度から見る日本の戦後史」を語れるようになれたらいいなぁ。

 

③継続に大切なこと

「達成できる目標からやってみる」「好きなことからやってみる」ことが大切なのだそうです。②のところで目標を掲げましたが、最終目標を社労士の合格とすると、その前段階に「社会保険制度から見る日本の戦後史を語る」がきます。さらにその前段階に年表を作るとかがくるので、細かい小さな目標を立てることが合格に近づくことになるのだと希望を持てました。

 

目標が大きすぎてただただ勉強が辛いものでしたが、日本の戦後史として見れば楽しく勉強を続けられそうです。

 

④悪口を言わない

人間の脳の「大脳辺縁系」は、主語を認知せずにその言葉のダメージは受けるようにできているそうです。「バカヤロー」と叫んでいるのを聞いた時、自分に向って言われたわけではなくても、その言葉によってネガティブに脳がなってしまうのだそう。

 

「でも、悪口言わないって無理でしょ?」と思われる方、朗報です。

ネガティブの3倍ポジティブな言葉を発すると良いそうですよ!!

 

鬱真っ盛りだとポジティブな言葉はなかなか出にくいですが、今の私なら「美味しい」「空がきれいだ」「富士山クッキリ見えて素敵」と何かしらポジティブなことを毎日感じ取れているので、これを声に出して言おうと思います。

 

⑤コミュニケーションスキルを向上させるトレーニング方法

 

私は人見知りで、大人数の人と群れるのが苦手です。保護者懇談会など、苦行でしかありません。顔見知り程度の人とどんな会話をしたら良いのか分からないのです。

 

これについては私の準備不足だというのがこの本から分かりました。

 

最大の問題は、私は質問される内容を予測していなかったし、相手に聞く質問を考えてもいなかったのです。

仲良くなる以前に会話を成立させなければ仲良くなることは無理なので、今度懇談会のようなものがある時には質問をしっかりと

考えて、メモを用意して挑もうと思います。

また、他の保護者の方がどんな質問をし、どんな返しをしているのか聞き耳を立てておいて、自分の話題のレパートリーを増やしていこうと思いました。

 

10代の方にも分かりやすい目線で書かれてますし、サクッと読める分量なので本を読むのが苦手な方や、勉強嫌いで困っている人にもおすすめだと思いました。

 

「さいごに」のところで「変化の大きい時代に「何もしない」ことは、現状維持ではなくマイナス」と仰っしゃられています。本当にそうだと思いますし、何かやっていると自信にも繋がるので、無理はしない程度に少しずつでもやってみようと思います。


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大杉 栄 伊藤 野枝選集 第一巻「クロポトキン研究」 黒色戦線社1986年6月1日発行

経済学や経済哲学の話となると翻訳が難解で理解に苦しむことが多々あったのですが、この本の前半では引用だけでなく大杉栄氏の解説によるところが多く、近代経済を学びたい人の入門書にもうってつけな内容なのではと思いました。

 

ダーヴィンの進化論が誤って認識されてきたことは周知のことですが、正しくはどのような解釈で認識せねばならないのかも紹介されていました。自然現象である「生存競争」は弱肉強食のイメージで語られますが、もともとダーヴィンは二つの意義をもって語っており、弱肉強食の世界観だけでなく相互扶助の考えを含むものでした。

 

しかし、ダーヴィンの二つの意義は「狭義の生存競争、ただ食物を求めるための個々の競争という一面の説明材料をのみ主としてあつ(蒐)めてあるので、他のさらに重要な一面がまったくそのかげにおおわれてしまった」のです。以後、あらゆる学問でこの生存競争の観念をもって語られることとなり、第二次世界大戦で横行したジェノサイドが既に戦前から学問界で率先して行われ、起こるべくして戦争は起きてしまったのだということが分かります。

 

また、労働者たちら今までは株主や支配人や監督のためだけに富を作っていたけれど、生産性の向上により「すでに発明された、また発明さるべきいろいろな機械の助けによって、みずからその富を生産しうべき社会であることであろう」と、自由な時間の確保というまるでユートピアな世界観で未来が語られていたことは興味深いです。クロポトキンの生きていた頃に比べれば労働へ費やす比重は軽くなったものの、果たしてクロポトキンの考えていた幸福は訪れたのでしょうか。過労死の問題が100年経っても未だに撲滅されていないのが現実です。

 

後半では伊藤野枝氏による翻訳が載っています。フランス革命は市民から沸き起こった革命で、旧体制に対抗し市民権を獲得していった一大事件という一般的な認識に釘を刺すクロポトキンの解釈は、できてしまった社会構造を変えることの難しさを伝えています。また、軍隊式の上から押し付ける教育体制に異議を唱えているその内容は今の時間軸から見ても古さを感じさせません。

 

多くの国民が幸福になれるよう主張していた大杉栄氏や伊藤野枝氏のような社会主義者たちが、「社会主義者=暴力を行使するのも厭わない怖い存在」という見方をされ、粛清されてしまったことが日本の損失でしかなく悲しく悔しいです。

 

粛清から100年が経ってしまったけれど、彼らの目指した社会のあり方に少しでも近づけるよう、私のいる会社で人権否定が起きたら反発するし、自分に関わる人を大切にして生きていこうと思います。


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『「オバサン」はなぜ嫌われるか』著者:田中ひかる 集英社新書

「オバサン」の定義を細部まで突き詰めることで、今までの日本で形成されてきた女性に対する差別的眼差しを明らかにしている本です。

 

私の中で1番衝撃だったのが、妻が夫の浮気と賭け事への散財を理由に離婚と財産分与を求めて訴えた際の、1955年5月6日の東京地裁判例です。ちょっと長いですが、引用を載せます。

 

「原告(引用者注・妻)が、年令満五十歳で、女性としては既に、その本来の使命を終り、今後は云わば余生の如きもので、今後に於いて花咲く人生は到底之を期待し得ないと考えられるのに反し、被告(引用者注・夫)は、漸く令四十九歳に達したばかりで、その前半の人生が順調であったのに反し、終戦後は、困難な生活が続き、妻たる原告にすら見限られるような失態を演じつつも、その体験を深め、人間として漸く成熟し来たったと認められるので、男子としての真の活動は、今後に於いて、期待し得られる事情にあること。」

 

50歳を過ぎた女は花咲くことはないと断言していて恐ろしいこと甚だしいです。人の人生に対する尊厳や価値の重さが男と女で違っていたことが司法の場でもまかり通っていたことに驚きです。これが今からたった67年前の判例

 

さらに、時を経て故石原元都知事が「石原慎太郎都知事吠える!」『週刊女性』2001年11月6日号で「女性が生殖能力を失っても生きてるってのは、無駄で罪です」という言葉を発しているのも悲しくなる現実です。

 

著者の田中ひかる氏が指摘するように、「ここには明らかに〈女は産んでこそ存在価値がある〉という信条があり、これが産めなくなった女性、つまり中高年女性に対する蔑視の要因の一つとなっている」(P.62 l.9〜10)のです。

 

また、今では生殖機能の差と職能は別物であるのは当然のことですが、かつて進化論者たちが唱えた科学的根拠により女性は「劣るもの」、「産み育てるもの」としての性別役割分業を強いられ社会的な発言権は第二次世界大戦後までありませんでした。表面的には1945年の敗戦でファシズムではなくなった日本ですが、価値のないものを排除していく思想が石原元都知事の発言にはっきりと現れています。都知事という、国政にも影響を与え得る人がファシズム的思想を持っていたことに悔しさと恥ずかしさを改めて感じています。女性を劣ったものとする蔑視思想がすぐには拭えないことがはっきりと分かる事件として忘れるわけにはいかないので、私はいつまでも覚えていようと思います。

 

この本が出発されてから10年が経ちますが(2011年出版)、未だに「オバサン」という言葉には「女を捨てた人」、「図々しい人」といった蔑視の意味が含まれています。私も「オバサン」という言葉を他人に使うことにためらいがあります。今までなんとなく使うのを躊躇していた言葉の背景に負の歴史が刻まれていたこと、無意識のうちに女性の地位の低さを受け入れてしまっていることに気付きました。

 

一方で、「オジサン」にも「気が利かない」「無神経」のような意味で使われはじめているようにも思います。スーパーのレジの人がおじさんで、お弁当に付けるお箸の数を間違えたら「オジサンだからね〜(汗)」と、思ってしまう自分がいます。

 

いずれにせよ、高齢者を排除するような思想が少子高齢社会で加速していけばこれこそファシズムを産み出し兼ねません。ここで一旦立ち止まり、「ラベリング」が本当に正当なものなのかはたまた「ラベリング」をすること自体が正当なものなのかを常にフィルタリングしていこうと思います。

 

そもそも、ラベリングではなく、1人ひとりにセンシティブに向き合うことが今の社会では大切にしなきゃいけないことなんだと思います。