映画『ジンジャーの朝 さよなら、わたしが愛した世界』の感想

機能不全家族にありがちな、親と子、友人と自分自身の幸せの境界が定まっていない様子が端々に表現されていて、私自身が過ごしてきた環境と重なった。

 

父親からのジンジャー自身に向けられる共感や、認めてもらえること、色んな話ができて安心していられるという側面から、つい父親を信じてしがみついていたくなるけれど、たとえ実の親であっても相手の価値観は自分と同じ土俵にはない。自身の父親と親友が不倫関係にあり、親友が妊娠するまでに至ったという事件は、10代のジンジャーにとっては父親の行為は親として受け入れがたい屈辱であり、親友からも父親を奪われた裏切りに深く傷つくこととなった。

 

辛く苦い現実を受け入れることに時間はかかるけれど、身近な人であっても価値観は違うこと、ある種の諦めも必要なことを学んだ主人公のジンジャーは、きっとこれからの幸せを自分の価値観で掴んでいけるのだと思う。

 

家族や親友との描写とあわせて、核問題に積極的に立ち向かっていく姿も描かれていた。「核は危険なものだから自分の手でなんとかしなきゃ」と奔走するも、世界規模での問題を解決する術は幼いジンジャーには当然持ち合わせておらず、惨めな現実に突きつけられる。若さゆえの急進的な行動は、ジンジャーの、幼くも成長には必要な希望をことごとく儚く壊していった。

 

大人としての物事の捉え方は、合理的なようで諦めが大部分を占めるのかもしれない。厳しい現実と折り合いをつけながら心の整理をして生きていかなくてはならないことをジンジャーは学んだのだと思う。少し寂しい気持ちもあるけれど、それが生きるということなのかもしれない。強い志を持ち続けられる人は、それはそれで良いけれど…。

 

まだ私自身が中学生だった頃も、世の中で起きている大きな問題を解決しなきゃと思っていた。アラサーとなった今は自分の生活で精一杯。取捨選択をして生きている。

寂しいけれど、これが現実だよなぁとしんみりした映画だった。