『禁色』を読んで

三島由紀夫の作品は彼が割腹自殺をしたという事実を意識せずに読むことは不可能で、「死」への憧れが残像となって揺らめいて離れることがない。それ故に、檜俊輔が徐々に悠一の美しさに毒され「死」と「美」との持論を述べ始めたくだりから、三島由紀夫自身の葛藤を推測し、なぜ彼が死を選んでしまったのだろうかと思いを馳せずにはいられなかった。事実、檜俊輔は悠一と語りを終えたのち、服毒死を遂げる。

 

当時の三島由紀夫が生きていた同時代にこの作品を読んでいたら、どんな感想を抱いたことだろう。彼の作品を読むたび、彼の計画が作品の中で着々と出来上がっていく様を眺めているような気持ちになるが、一度、「美」に対しての純粋な考察をしてみたかった。

 

ストーリーとしては、難解でサイコな『金閣寺』よりも色恋沙汰が艶やかに描かれた『禁色』は読みやすかった。男女問わす人を惑わす美貌に満ちた悠一は、同性愛者であるが故に周りの女たちを巻き込み、彼女たちは得られるはずの無い愛を渇望する様子が侯爵夫人、妻である康子、美貌に恵まれた穂高恭子のそれぞれの苦しみ方でもって描かれていた。

 

ところで、男しか愛せないはずの悠一が女を惑わすきっかけを作った人物は老作家である檜俊輔だ。容姿は醜く恋愛は失敗続きの彼は、悠一が女を愛せないという「苦悩」に満ちた告白を受け、自分では果たすことのできなかった女を惑わし苦しめ、自身が苦悩したように女たちを苦しめるという目標を悠一に託すのであった。

 

しかし、悠一の魅力は超越していた。自分の作品の登場人物のように悠一に女を唆すように仕込んだはずが、自分が彼の魅了に引き込まれてしまった。

 

檜俊輔に促されるまま女と連絡を取り合っていた彼だが、ふとしたことから通うようになったルドンで男たちとも関係を待っていくようになる。男と関係を交えるうち、悠一は自身の美貌に気付きはじめ、美貌によって「見られている」ことに魅了されていった。

 

女を惑わすと同時に男とも欲が向かうがまま関係していく悠一の姿を、傍らから見ていた檜俊輔は芸術作品としての悠一を完璧なものと思えば思うほど、醜い自分が美の頂点のような彼を我が物にできない苦しみに直面してしまった。

 

檜俊輔の悩みなど、知るも知らぬも悠一は檜俊輔の言いなりになることよりも、自身の生き方を進んでいく。悠一は欲の向かうままの

「見られている世界」には美しい外見を持った悠一が、「現実」には醜い内面を持った悠一がいることに気付くこととなる。

一度は魅了されたルドンでの世界から離れた彼は、檜俊輔の死を知った後も心はどこか冷徹で、檜俊輔がおそらく望んでいたような気持ちになることはなく、彼は彼の日常を生きていく。

 

愛する人を手に入れたいという願望は貪欲で醜いものである一方で、どこか愚直で純粋な美しさを散りばめることによって人間の奥深くに根ざす汚いものを浄化させるような作品だった。

 

初見のためところどころの難解な箇所は誤って解釈をしているだろうから、日をあけてまた読んでみようと思う。