『春琴抄』を読んで

盲人の春琴の我儘は底知れず、パワハラモラハラ極まりない。そんな彼女であっても、一途に側に居続けお世話をする佐助が愚直で、何でそんなにまで耐え続けるのかと不思議でならない。

好きであるのに簡単に手に入れられない高貴な存在であり続けると、尽くし続けるのだろうか。

 

終いには自らの目を針で突き盲人となった。

周りに理解者のいない関係も、彼らの内だけに崇高なものになっていったようだ。

 

描写がはんなりな文体で、それだけでも関東暮らしの私にはとても優美なものに思えた。関西の人が読んだらどんな感想を抱くのだろう。

 

私はパワハラモラハラを仕事で受けたこと数しれず、春琴を憎み火傷を負わせる事件を実行する側の人間だ。パワハラモラハラ人間でも結婚はするし子どもはいるし、お金に困らず生活していて今までと変わらぬ生活を続けていることが許せない。今でもその人が不幸になれと願ってしまうくらいには醜い心を持っている。

 

けれど、恨み辛みのし返しを実行したところで人を傷つけても平気でいられる人には響かない。

 

春琴と佐助にしても自責の念というものを持っていないのか、むしろこの火傷を慈しむ有様だ。申し訳ないとかそういう次元に行かず、傷つけたことに対しての反省はない。し返しも仕方のないこととして受け入れて悪びれた様子もなく生活している。

 

変わり者は変わり者として、そっと距離を置いておくのが吉なのだなぁと思った。