『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』

■映画の感想■

 

ナチス政権を牽引していた人物は皆、敗戦後の国際裁判により全て解決したかのように思われた。しかし1950年代後半の西ドイツの現実は、アデナウアーの腹心グロプケのように、親衛隊の主要メンバーを務めていた者たちが裁きを受けることなく政界や名だたる企業に蔓延っていた。

 

その事実を、公の場で証明しようと奮闘したのがユダヤ人であり、ナチスによる迫害を受けてきたフリッツ・バウアー検事であった。

 

彼は、未だ逃亡中の、親衛隊中佐を務めホロコーストに関わったアドルフ・アイヒマンを逮捕し、ドイツでの裁判にかけることでナチスの残党者らをも明らかにし、冷戦下での「非ナチ化」に突き進む時代に真向から対抗しようとした。アイヒマン捜査の間、度重なる脅迫に耐え、最終的には国家反逆罪に問われるようなモサドへ協力を求めるなど、自らの身の危険を犯しながら「ナチスの罪を裁くこと」に執念を燃やしていた。

彼を取り巻く状況は、ドイツ戦後復興の裏に隠された戦犯の隠蔽と忘却を浮き彫りにした内容だった。

 

ドイツ国内のユダヤ人を殺していたこともあって、「断罪」に意味を見出す姿勢は、同じ敗戦国でも日本と捉え方が違うなと思った。

そして、虐殺に関わったような人が普通に生活できてしまっていたことに対して、気持ち悪さを感じると共に、日本でも、戦地で人を殺しまくったような人が本土に戻ってきて生活していたんだよなと思うと、なかなか不気味な気持ちになりました。