『我が闘争 若き日のアドルフ・ヒトラー』

■映画の感想■

 

画家を目指していたヒトラーが、どのような経緯で差別的な思想に傾倒し、画家を諦め政治家を目指すようになっていったのか。画家になるためウィーンで下宿生活を送っていた彼の青年時代にフォーカスをあて、ユダヤ人への差別的な感情が政治的思想として成熟してしまう様子が描かれていた。

 

下宿場の初日から親切に、そして何かと困った時には父親のように接してくれるユダヤ人がいたにも拘わらず、ヒトラーユダヤ人差別を肯定していく様子は、思考が異常なまでに極端で、何らかの障害があるのではないかと思われた。しかし、ヒトラーが行った政策は許せるものではないが、彼が異常者であったということで片付けられるものではないように思う。彼のユダヤ人差別の思想が肯定された背景には、下宿場やウィーンの街に蔓延しているユダヤ人差別やゲルマン至上主義の環境にも関係していることだろう。

 

初めはキチガイじみた思想であるにも拘わらず、人々を魅了させていってしまったことに恐怖感を抱いた。ユダヤ人から親切にしてもらったような目の前の素敵な出来事には着目せず、ゲルマン至上主義の壮大な理想を追い求め、理想実現のためには犠牲を厭わないとヒトラーは考えていたようだが、彼の思考は劣等感と優越感に支配されているように思えた。

 

私事だが、現在弟がネットワークビジネスにハマっている。ネットワークビジネスでは、劣等感(お金が満足にない)と優越感(ビジネスをしている自分は賢い)を非常に上手く利用し、将来お金を得るためには、今持っている人間関係や時間をビジネスのために犠牲にすることを称賛しているようだ。

ヒトラーの思考と構造が似ているように思えてならない。

 

現代でもおかしなカルト教団が存在したり、ネットワークビジネスのような詐欺まがいの活動が行われていたりするのを見ると、油断していたら社会全体が変貌してしまう可能性があるのだと改めて危機感を抱きました。